sisterwolf:

The Giant Amazon Queen, 1882, Evan © The British Library Board

Freak shows

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The Giant Amazon Queen, 1882, Evan © The British Library Board

Freak shows

(via savage-america)

@1 week ago with 47 notes
#Misemono e 
Japanese postcard / Women Sumo Show
歯力 力士 玉椿 日ノ出山(渡米帰朝石山女角力) 1931年頃?
“「最初は首にこたえて、呼ばれても首を廻せないようになる。首の骨が折れたと思う位につらい。また、虫歯のある人は絶対にダメ。丈夫な人でも、俵をくわえそこなうと歯を欠く。欠くどころか、前歯が一ぺんに全部とれてしまった人がいた。」” 小沢昭一『私のための芸能野史』 高玉興行団の元女力士「梅の里」インタビュー - 興行としての女相撲に関する研究 金田英子 - 日本体育大学紀要22巻2号(1993)97-102
※昭和16年頃の宣伝文に「二十五貫口中歯力」という表記があるらしい。93.75kg。通常「一俵=十六貫=60kg」なので誇張した表現かとも思うが、引用の通り女角力はゴマカシのないガチの芸らしい。この手の興行は観客に重量を確認させるだろうから二十五貫を持ち上げている可能性が高い。
※”大関遠江灘たけ女の如きは頗る歯力ありて、廿七貫目余の土俵を前歯に加へ、左右の手に四斗俵を引提て土俵の上を徐々往来する程の大力” 「遠江灘こと神保たけ」(福島県信夫郡飯坂出身) 二十七貫(101kg) 四斗俵(60kg) - 見世物興行年表:明治23年(1890年)九

Japanese postcard / Women Sumo Show

歯力 力士 玉椿 日ノ出山(渡米帰朝石山女角力) 1931年頃?

“「最初は首にこたえて、呼ばれても首を廻せないようになる。首の骨が折れたと思う位につらい。また、虫歯のある人は絶対にダメ。丈夫な人でも、俵をくわえそこなうと歯を欠く。欠くどころか、前歯が一ぺんに全部とれてしまった人がいた。」” 小沢昭一『私のための芸能野史』 高玉興行団の元女力士「梅の里」インタビュー - 興行としての女相撲に関する研究 金田英子 - 日本体育大学紀要22巻2号(1993)97-102

※昭和16年頃の宣伝文に「二十五貫口中歯力」という表記があるらしい。93.75kg。通常「一俵=十六貫=60kg」なので誇張した表現かとも思うが、引用の通り女角力はゴマカシのないガチの芸らしい。この手の興行は観客に重量を確認させるだろうから二十五貫を持ち上げている可能性が高い。

※”大関遠江灘たけ女の如きは頗る歯力ありて、廿七貫目余の土俵を前歯に加へ、左右の手に四斗俵を引提て土俵の上を徐々往来する程の大力” 「遠江灘こと神保たけ」(福島県信夫郡飯坂出身) 二十七貫(101kg) 四斗俵(60kg) - 見世物興行年表:明治23年(1890年)九

@1 week ago with 33 notes
#Postcard #Misemono e 
Japanese postcard / ROYAL TOKYO TROOP ACROBATS, 1870S
足芸
@1 week ago with 31 notes
#Postcard #Misemono e 

ブログ「見世物興行年表」さんに依る養老勇扇の足跡

見世物興行年表:明治11年(1878年)三

○六月十四日より、東京府内の各所の寄席に、蜘蛛男・養老勇扇が出演する。(「かなよみ」6・13/「郵便報知新聞」7・2)

見世物興行年表:明治11年(1878年)四

○十月一日より、横浜馬車道角萬竹亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(「かなよみ」10・4)

○十一月十五日より三日間、神奈川県神奈川駅内に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(「かなよみ」11・19)

見世物興行年表:明治12年(1879年)二

○三月二日より六日間、静岡県浅間公園にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(静岡新聞3・1)

○四月二十四日より、名古屋大須境内にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(愛知新聞4・23、4・30)

見世物興行年表:明治13年(1880年)二

○一月一日より、大阪千日前にて、蜘蛛男・養老勇翁の見世物。(大阪日報・明治12年12・26)

見世物興行年表:明治14年(1881年)五

○十一月二十二日より、山形県山形市旭座にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(山形新聞11・18)

見世物興行年表:明治18年(1885年)一

○一月一日より、東京京橋区南鍛冶屋町内山亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(読売新聞1・6)

見世物興行年表:明治18年(1885年)三

○七月二十一日より、静岡呉服町六丁目の寄席富貴勢亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(静岡大務新聞7・23)

見世物興行年表:明治18年(1885年)五

○十一月上旬より、長野県上田木町の三吉亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(信濃毎日新聞11・13)

見世物興行年表:明治19年(1886年)六

○この年、蜘蛛男・養老勇扇死亡。(絵入朝野新聞11・3)

@1 month ago with 5 notes
#Ukiyo e #Yoro Yusen #Misemono e 
Kumo otoko (Spiderman) Yoro Yusen / Mishima Shoso
養老勇扇 手をどりの図 三島蕉窓 1878年6月
“頭 七寸五分 身丈 七寸 佐藤勇吉 五十二才 羽前國米澤在奥田村蜘大尽 養老瀧五郎門人にて 養老勇扇 手品の後 手をどりの図”

Kumo otoko (Spiderman) Yoro Yusen / Mishima Shoso

養老勇扇 手をどりの図 三島蕉窓 1878年6月

“頭 七寸五分 身丈 七寸 佐藤勇吉 五十二才 羽前國米澤在奥田村蜘大尽 養老瀧五郎門人にて 養老勇扇 手品の後 手をどりの図”

@1 month ago with 42 notes
#Misemono e #Mishima Shoso #Ukiyo e #Yoro Yusen #Yoro Takigoro 

zo no zu / Kishi Choton

象之圖 貴志朝暾 1838年 筒井南斎蔵本の写

@1 month ago with 110 notes
#Elephant #Misemono e #Kishi Choton #Rangaku 

yokohama ijin kyokuba (Richard Risley’s circus company) / Yoshitoshi

横濱異人曲馬 月岡芳年 1864年

左上 “かけきたつて二ツの輪をこして かけぬけたる元の馬に飛のる 此じゆつもつとも妙?とやいわん”

左中 “車をさかにのぼり又うしろ向きにて下だる じつにかんにたへたり”

左下 “此所????ぐらにて拍子をとり馬上にて????輪をくゞり じじやく(自若)として元のごとし”

中上 “馬上にてかけきたつて もちたるかごにうしろがへりしてかごをぬけ元の馬にのる きたいのわざなり”

中中 “馬三疋をおし並べ背にたちて走らするに躰ハいと/\たいぜんたり 茲においてなかの人油?をなして看者の膽を冷さしむ”

中下 “此所にてはやしいたす これにあわせておどるなり”

右上 “此所ハ酒ノミの?たる?しだしなき馬上の曲技てのげひあり”

右中 “此所馬上をはなれて大シャの布二枚をこして馬上にひらりと飛のる事 蝶のごとし”

右下 “此所????乗るしまいにて足をだいの上にのする”

@2 months ago with 17 notes
#Ukiyo e #Yoshitoshi #Misemono e 

上村駒吉の小人島の一人相撲の見世物

見世物興行年表:明治16年(1883年)四

○七月、東京京橋区三十間堀二丁目にて、上村駒吉の小人島の一人相撲の見世物。(「郵便報知新聞」7・13)

 「侏儒 品川新宿五十二番地木村庄五郎方に止宿する岡山県下備中国哲多郡法会村の上村駒吉(三十九年)は、身軀矮短にして、其長二尺一寸に過ぎざれど、一体の釣合は至極宜しき一種異形の人物なるが、人並の業を執ること能(あたわ)ず、然るに其性質直にして孝心厚きも、其親を養ふの道を得ず、常に嘆くのあまり、或人の勧めにより、香具師に就て自ら見せ物となり、何程かの給料を得て故郷の老母に送り、孝養を怠らず、諸方に於て衆人の縦覧に供し、此ほど出京して小人島の独り相撲と評判し、京橋区三十間堀二丁目に於て興行せしが、兼て不具の者を見せ物とするを禁ぜらるゝを以て、一昨日巡査が之を引致し取調べしに、只身軀非常に矮短なるのみにて、支体に異なりし所なければ、斯の如き亦不具の人なれば何様の名義を以てするも成規に戻れば興行を差留むべしといふ説もあり、又人並はづれて短小なる体軀の者を不具とせば、人並はづれて身軀肥大なる相撲取の如きも亦不具の者といはざるを得ず、然れば相撲興行も成規に戻るやとの説ありて、其議の決せざるより、尚又昨日呼出して調べられし由なるが、本人は元より人の玩弄となるを恥ぢおれば、斯る面倒を厭ふより以後は見せ物となるを止め、相応の女房を迎へ両人して飴菓子など売歩き、老母を安楽に養ひたしと云ひ居るとは、希有にも亦殊勝なる男なり」

@2 months ago
#Misemono e 
Life Size Figures, Representing Those on Show at the Mitsukoshi Store, Osaka
絵葉書 三越大阪店の生人形展? 作者不明 年代不詳
※「日本マネキンの元祖“生き人形”」マネキンのすべて
@1 week ago with 8 notes
#Postcard #Misemono e 

Japanese postcard / Women Sumo Show

(渡米歸朝・石山女角力) 1931年頃?

土俵入り 力士總出

腹の上の餅搗 力士最上川

五人持 力士立山

櫓積み 力士千歳山

齒力 力士 玉椿・日ノ出山

※後ろ幕 “女大相撲 渡米記念 布哇ホノルル市 日本人有志より”

※”昭和5年6月20日には、先述の石山兵四郎を団長とする石山女大相撲一行が、25名の女力士と共に約半年間にわたりハワイの興行場日本館へ海外巡業を試みたという” 参照:興行としての女相撲に関する研究 金田英子 - 日本体育大学紀要22巻2号(1993)97-102

@1 week ago with 25 notes
#Postcard #Misemono e 

Mimesis – Bunraku Puppets and Living Dolls | Toshidama Japanese Prints 

(Source: toshidama, via ushishir)

@1 week ago with 7 notes
#Ukiyo e #Misemono e 

Kumo otoko (Spiderman) Yoro Yusen

養老勇扇(引札の下半分?) 絵師不明 1878年

“(はう)た (うかれ)ぶし (てじ)な (羽前)国米沢表より 初御目見へ (頭)七寸五分 (身の丈)七寸 佐藤勇吉 事 五十二才 養老勇扇”

東京くも男 55才 養老勇扇 絵師不明 1881年

“羽前國米沢表より御當所江初ノ御目見得 頭 七寸五分 身ノ丈七寸 東京くも男 五十五才 養老勇扇 乍惮口演 山形縣下羽前の國米澤在奥田村といへるに佐藤何某と云豪農ありしが家運漸々に衰へけるを其家の娘深く悲しミ頃は文政十亥年中同村薬師山の薬師如来へ祈願をこめ何卒我家元ニ復し繁盛ならしめたまへと日毎登山なして一心に念じる満願の日 山を下り我家へ帰る途中村雨の降来りけれバ暫し木陰に雨を凌ぐに一個の美男子是も雨舎りしてありしが不圖(はからず)言葉をかわし終に契りを結びしが夫より只ならぬ身となり月満て男子を産落し名を佐藤勇吉と名号(なづけ)愛で育てけるが尋常の者とかハり身の惣丈僅かに壹尺四寸五分 然れ共親に孝養を尽し昼夜家業に勉強なすを以て一旦衰へし家を引起しけるハ全く此勇吉が功なり 去りながら其身人並ならざる 恥て家に籠りて人に逢ハざりしが開化の御代の有難さ仮令(たとひ)身体ハ異形なり共心だに正しけれバ恥る事あらじと東京へ上り養老家の門人となり未熟ながらも藝名を養老勇扇と名乗り前藝ハ浦島が玉手箱の手品 次ハ身の丈を働かせ踊りの一ト手 大切に至りて流行端唄の一曲を御聞に達し東京區中(まちぢう)の御ひいきを受 御評判に預りし所 此たび御當所に於て右藝等興行仕候間 四方の御客様方に伝合 何卒初日より???永當/\御見物に御光来の程 偏に奉希上候 以上

東京くも男 養老勇扇 58才 絵師不明 1884年

佐藤勇吉 養老勇扇 明治22年 絵師不明 1889年

“山形縣下羽前國南置賜郡玉庭村大字上奥田 佐藤勇吉 當年六十三年 頭 七寸五分 身ノ丈 七寸 藝名 養老勇扇 抑此太夫ハ文政十年亥八月二日夜丑ノ刻に産れ うぶ湯をつかふ折しも近所の女中方御悦ニ来られ さて/\御舎弟さんハ器量もよく玉に目鼻 とほめられて家内中大イニ悦び蝶よ花よと育ける 光陰ハ矢の如し はや盛長ニ及べとも身の惣丈ハ僅ニ壹尺四寸五分 家内ハ勿論親類や近所縁者の方ゝまで深ク歎キて居たりしが次第/\に勇吉ハ蜘蛛ニ似たると世の人にたとへられ朝夕歎キ居たりしも文明開化の御代に當り其年つもりて五十壱才 一ツの藝を学ばんと志を立て東京へ登り手品ノ社長養老滝五郎の門人トなり諸国興行営ミけるハ静岡ニ於テ徳川様の午前に御目通りの上おほめに預り本年六十三才ニ相成候へども身の健(マメヤ)かなるを祝ひ四方の御方様御ひゐきの程 伏て奉希上候 明治廿二年改版”

「見世物興行年表:明治19年(1886年)六」に「この年、蜘蛛男・養老勇扇死亡。(絵入朝野新聞11・3)」とあり謎。

@1 month ago with 14 notes
#Hikifuda #Misemono e #Ukiyo e #Unknown #Yoro Yusen #Yoro Takigoro 
deroli:

1417.jpg

HOYT’S A HOLE IN THE GROUND / DIRECTION FRED E. WRIGHT / YOUNG & DEVOIE
Posters: Performing Arts Posters - About this Collection - Prints & Photographs Online Catalog (Library of Congress)
@1 month ago with 5 notes
#Misemono e 
ningyo / Unknown
人魚 絵師不明 年代不詳
“往昔より人魚と号(なづけ)時々世に観物場(ミせもの)となす物是迄許夛有雖(いへども)其真と偽を詳にする事鮮(すくな)し 原来得難き奇物にして啻(たゞ)其説を傳聞せる侭に唱ふ靠(よつ)て推量(おしはかり)状(かたち)を作る贋物夛し 洽く鬱悒(おぼつか)なき謊(いつハり)を以て婦女童蒙を?者(あざむくもの)なり 抑今般舶来の一種ハ阿弗利加洲喝叭布蘭土と言へる極南の地より紅毛人(おらんだじん)東洋に趣く發帆(ふなで)の節 應帝亜に屬する咬?(口+留)吧の海中にて擒得しと云物是也 物産博学の諸先生に就て鑑定を乞ひ 疑ひなき真の人魚なるべしとなり 寔に稀代の珍物 江湖上に現て諸人の眼に觸ん事 太平の恩澤に浴するの潤徳ならん 冀わくは奚落(あなどりたま)はず一看て虛實誌?賜ふ看宮?(ごけんぶつ)ハ穿定ならん事を俟て永く後世の談柄に残んと欲るのミ”
“山海経に曰 東南の海中に氐人國有 人魚を出すと云々 異物志に曰 人魚長さ尺餘 頂の上に小穿あり 氣中より出ると云ふ 本草綱目に曰人魚と稱ずる者二種あり 曰く?(魚+帝 てい)魚 曰く鯢魚と見へたり てい魚ハ一に孩兒魚と言 山生魚と訓ず 鯢魚ハ格物論に女鯨唱へて倶に世に云人魚の類にあらず 博物志に曰 鮫人ハ鮫客水人とも号 又一種山客と云者猩々の屬 倶に異説區々なれども人魚にハあらず 世に不老延年長壽の薬となると云ふものハ此人魚なるのミ 相傳て言 人魚を食する者ハ延命にして死を知らず 小兒ハ眼に見るのミにして疱瘡痳疹を患る事なし 若悩者も必痙?しと云り 老若ハ食せずとも唯見るのミにして疫病を?ひ悪流行病ひを消除して其氣を??ずと云ふ 斯能ある物なれバ雲顧諸君令郎令愛(とのごむすめご)を携ひ交加(ゆきかい)の序(ついで)駕を賜ば有益の一端ともならんかと市中に於て一覧に備ふ 先前恭啓(ごひろう)有て高評に預らバ幸甚しからんとしかいふ 未夏吉日”

ningyo / Unknown

人魚 絵師不明 年代不詳

“往昔より人魚と号(なづけ)時々世に観物場(ミせもの)となす物是迄許夛有雖(いへども)其真と偽を詳にする事鮮(すくな)し 原来得難き奇物にして啻(たゞ)其説を傳聞せる侭に唱ふ靠(よつ)て推量(おしはかり)状(かたち)を作る贋物夛し 洽く鬱悒(おぼつか)なき謊(いつハり)を以て婦女童蒙を?者(あざむくもの)なり 抑今般舶来の一種ハ阿弗利加洲喝叭布蘭土と言へる極南の地より紅毛人(おらんだじん)東洋に趣く發帆(ふなで)の節 應帝亜に屬する咬?(口+留)吧の海中にて擒得しと云物是也 物産博学の諸先生に就て鑑定を乞ひ 疑ひなき真の人魚なるべしとなり 寔に稀代の珍物 江湖上に現て諸人の眼に觸ん事 太平の恩澤に浴するの潤徳ならん 冀わくは奚落(あなどりたま)はず一看て虛實誌?賜ふ看宮?(ごけんぶつ)ハ穿定ならん事を俟て永く後世の談柄に残んと欲るのミ”

“山海経に曰 東南の海中に氐人國有 人魚を出すと云々 異物志に曰 人魚長さ尺餘 頂の上に小穿あり 氣中より出ると云ふ 本草綱目に曰人魚と稱ずる者二種あり 曰く?(魚+帝 てい)魚 曰く鯢魚と見へたり てい魚ハ一に孩兒魚と言 山生魚と訓ず 鯢魚ハ格物論に女鯨唱へて倶に世に云人魚の類にあらず 博物志に曰 鮫人ハ鮫客水人とも号 又一種山客と云者猩々の屬 倶に異説區々なれども人魚にハあらず 世に不老延年長壽の薬となると云ふものハ此人魚なるのミ 相傳て言 人魚を食する者ハ延命にして死を知らず 小兒ハ眼に見るのミにして疱瘡痳疹を患る事なし 若悩者も必痙?しと云り 老若ハ食せずとも唯見るのミにして疫病を?ひ悪流行病ひを消除して其氣を??ずと云ふ 斯能ある物なれバ雲顧諸君令郎令愛(とのごむすめご)を携ひ交加(ゆきかい)の序(ついで)駕を賜ば有益の一端ともならんかと市中に於て一覧に備ふ 先前恭啓(ごひろう)有て高評に預らバ幸甚しからんとしかいふ 未夏吉日”

@1 month ago with 20 notes
#Ukiyo e #Unknown #Hikifuda #Misemono e #Bakemono 
No. 832, from the series The Post Dispatch Newspaper (Yûbin hôchi shinbun) / Yoshitoshi
郵便報知新聞 第八百三十二号 月岡芳年 1875年?
“評判を東江に吹上げたる下總西浦海岸に漁(すなどり)せし大鯨ハ身の亘り六間余 近来未曽有の巨魚なるを馬喰町三丁目山本幸蔵 直に買需(かひもと)めて深川安宅町元御舩蔵跡へ觀物の許可を得て看客(けんぶつ)に供せしむるに日に群集を倍(ま)ス恰も潮の沸が如く鯨波(とき)の声と倶にどよめく大繁盛を表せり 一番銛の身の圖に當る 是商法の手段とこそ利得猶惜して知るべし のん/\舎南龍 述”
※「目」「四番もりきず?」「しん上 魚がし 一魚壹 大鯨さん江」などの貼紙
“明治8年(1875)、地元の漁師である高梨源八と西脇清吉さんが浦安の八枚洲で大鯨を見つけ大格闘の末に捉え、当時の金額で二百円で売れたそうです。二人の漁師は大鯨捕獲劇でもちきり英雄扱い有名人となり仕事には手が付かず、 年配者の示唆を受けて気を引き締めるため「大鯨の碑」を稲荷神社末社にたて奉納したといわれる。この大鯨は「深川の見世物」として郵便報知新聞第832号にも載っております。” 千葉県浦安市:鯨塚「大鯨の碑」 東京湾岸の鯨塚

No. 832, from the series The Post Dispatch Newspaper (Yûbin hôchi shinbun) / Yoshitoshi

郵便報知新聞 第八百三十二号 月岡芳年 1875年?

“評判を東江に吹上げたる下總西浦海岸に漁(すなどり)せし大鯨ハ身の亘り六間余 近来未曽有の巨魚なるを馬喰町三丁目山本幸蔵 直に買需(かひもと)めて深川安宅町元御舩蔵跡へ觀物の許可を得て看客(けんぶつ)に供せしむるに日に群集を倍(ま)ス恰も潮の沸が如く鯨波(とき)の声と倶にどよめく大繁盛を表せり 一番銛の身の圖に當る 是商法の手段とこそ利得猶惜して知るべし のん/\舎南龍 述”

※「目」「四番もりきず?」「しん上 魚がし 一魚壹 大鯨さん江」などの貼紙

“明治8年(1875)、地元の漁師である高梨源八と西脇清吉さんが浦安の八枚洲で大鯨を見つけ大格闘の末に捉え、当時の金額で二百円で売れたそうです。二人の漁師は大鯨捕獲劇でもちきり英雄扱い有名人となり仕事には手が付かず、 年配者の示唆を受けて気を引き締めるため「大鯨の碑」を稲荷神社末社にたて奉納したといわれる。この大鯨は「深川の見世物」として郵便報知新聞第832号にも載っております。” 千葉県浦安市:鯨塚「大鯨の碑」 東京湾岸の鯨塚

@2 months ago with 29 notes
#Misemono e #Shinbun Nishiki e #Ukiyo e #Yoshitoshi #Whale 
sisterwolf:

The Giant Amazon Queen, 1882, Evan © The British Library Board

Freak shows
1 week ago
#Misemono e 
Life Size Figures, Representing Those on Show at the Mitsukoshi Store, Osaka
絵葉書 三越大阪店の生人形展? 作者不明 年代不詳
※「日本マネキンの元祖“生き人形”」マネキンのすべて
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Japanese postcard / Women Sumo Show
歯力 力士 玉椿 日ノ出山(渡米帰朝石山女角力) 1931年頃?
“「最初は首にこたえて、呼ばれても首を廻せないようになる。首の骨が折れたと思う位につらい。また、虫歯のある人は絶対にダメ。丈夫な人でも、俵をくわえそこなうと歯を欠く。欠くどころか、前歯が一ぺんに全部とれてしまった人がいた。」” 小沢昭一『私のための芸能野史』 高玉興行団の元女力士「梅の里」インタビュー - 興行としての女相撲に関する研究 金田英子 - 日本体育大学紀要22巻2号(1993)97-102
※昭和16年頃の宣伝文に「二十五貫口中歯力」という表記があるらしい。93.75kg。通常「一俵=十六貫=60kg」なので誇張した表現かとも思うが、引用の通り女角力はゴマカシのないガチの芸らしい。この手の興行は観客に重量を確認させるだろうから二十五貫を持ち上げている可能性が高い。
※”大関遠江灘たけ女の如きは頗る歯力ありて、廿七貫目余の土俵を前歯に加へ、左右の手に四斗俵を引提て土俵の上を徐々往来する程の大力” 「遠江灘こと神保たけ」(福島県信夫郡飯坂出身) 二十七貫(101kg) 四斗俵(60kg) - 見世物興行年表:明治23年(1890年)九
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Japanese postcard / ROYAL TOKYO TROOP ACROBATS, 1870S
足芸
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(Source: toshidama, via ushishir)

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ブログ「見世物興行年表」さんに依る養老勇扇の足跡

見世物興行年表:明治11年(1878年)三

○六月十四日より、東京府内の各所の寄席に、蜘蛛男・養老勇扇が出演する。(「かなよみ」6・13/「郵便報知新聞」7・2)

見世物興行年表:明治11年(1878年)四

○十月一日より、横浜馬車道角萬竹亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(「かなよみ」10・4)

○十一月十五日より三日間、神奈川県神奈川駅内に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(「かなよみ」11・19)

見世物興行年表:明治12年(1879年)二

○三月二日より六日間、静岡県浅間公園にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(静岡新聞3・1)

○四月二十四日より、名古屋大須境内にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(愛知新聞4・23、4・30)

見世物興行年表:明治13年(1880年)二

○一月一日より、大阪千日前にて、蜘蛛男・養老勇翁の見世物。(大阪日報・明治12年12・26)

見世物興行年表:明治14年(1881年)五

○十一月二十二日より、山形県山形市旭座にて、蜘蛛男・養老勇扇の見世物。(山形新聞11・18)

見世物興行年表:明治18年(1885年)一

○一月一日より、東京京橋区南鍛冶屋町内山亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(読売新聞1・6)

見世物興行年表:明治18年(1885年)三

○七月二十一日より、静岡呉服町六丁目の寄席富貴勢亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(静岡大務新聞7・23)

見世物興行年表:明治18年(1885年)五

○十一月上旬より、長野県上田木町の三吉亭に、蜘蛛男・養老勇扇が出演。(信濃毎日新聞11・13)

見世物興行年表:明治19年(1886年)六

○この年、蜘蛛男・養老勇扇死亡。(絵入朝野新聞11・3)

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Kumo otoko (Spiderman) Yoro Yusen / Mishima Shoso
養老勇扇 手をどりの図 三島蕉窓 1878年6月
“頭 七寸五分 身丈 七寸 佐藤勇吉 五十二才 羽前國米澤在奥田村蜘大尽 養老瀧五郎門人にて 養老勇扇 手品の後 手をどりの図”
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HOYT’S A HOLE IN THE GROUND / DIRECTION FRED E. WRIGHT / YOUNG & DEVOIE
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#Misemono e 
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ningyo / Unknown
人魚 絵師不明 年代不詳
“往昔より人魚と号(なづけ)時々世に観物場(ミせもの)となす物是迄許夛有雖(いへども)其真と偽を詳にする事鮮(すくな)し 原来得難き奇物にして啻(たゞ)其説を傳聞せる侭に唱ふ靠(よつ)て推量(おしはかり)状(かたち)を作る贋物夛し 洽く鬱悒(おぼつか)なき謊(いつハり)を以て婦女童蒙を?者(あざむくもの)なり 抑今般舶来の一種ハ阿弗利加洲喝叭布蘭土と言へる極南の地より紅毛人(おらんだじん)東洋に趣く發帆(ふなで)の節 應帝亜に屬する咬?(口+留)吧の海中にて擒得しと云物是也 物産博学の諸先生に就て鑑定を乞ひ 疑ひなき真の人魚なるべしとなり 寔に稀代の珍物 江湖上に現て諸人の眼に觸ん事 太平の恩澤に浴するの潤徳ならん 冀わくは奚落(あなどりたま)はず一看て虛實誌?賜ふ看宮?(ごけんぶつ)ハ穿定ならん事を俟て永く後世の談柄に残んと欲るのミ”
“山海経に曰 東南の海中に氐人國有 人魚を出すと云々 異物志に曰 人魚長さ尺餘 頂の上に小穿あり 氣中より出ると云ふ 本草綱目に曰人魚と稱ずる者二種あり 曰く?(魚+帝 てい)魚 曰く鯢魚と見へたり てい魚ハ一に孩兒魚と言 山生魚と訓ず 鯢魚ハ格物論に女鯨唱へて倶に世に云人魚の類にあらず 博物志に曰 鮫人ハ鮫客水人とも号 又一種山客と云者猩々の屬 倶に異説區々なれども人魚にハあらず 世に不老延年長壽の薬となると云ふものハ此人魚なるのミ 相傳て言 人魚を食する者ハ延命にして死を知らず 小兒ハ眼に見るのミにして疱瘡痳疹を患る事なし 若悩者も必痙?しと云り 老若ハ食せずとも唯見るのミにして疫病を?ひ悪流行病ひを消除して其氣を??ずと云ふ 斯能ある物なれバ雲顧諸君令郎令愛(とのごむすめご)を携ひ交加(ゆきかい)の序(ついで)駕を賜ば有益の一端ともならんかと市中に於て一覧に備ふ 先前恭啓(ごひろう)有て高評に預らバ幸甚しからんとしかいふ 未夏吉日”
1 month ago
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2 months ago
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No. 832, from the series The Post Dispatch Newspaper (Yûbin hôchi shinbun) / Yoshitoshi
郵便報知新聞 第八百三十二号 月岡芳年 1875年?
“評判を東江に吹上げたる下總西浦海岸に漁(すなどり)せし大鯨ハ身の亘り六間余 近来未曽有の巨魚なるを馬喰町三丁目山本幸蔵 直に買需(かひもと)めて深川安宅町元御舩蔵跡へ觀物の許可を得て看客(けんぶつ)に供せしむるに日に群集を倍(ま)ス恰も潮の沸が如く鯨波(とき)の声と倶にどよめく大繁盛を表せり 一番銛の身の圖に當る 是商法の手段とこそ利得猶惜して知るべし のん/\舎南龍 述”
※「目」「四番もりきず?」「しん上 魚がし 一魚壹 大鯨さん江」などの貼紙
“明治8年(1875)、地元の漁師である高梨源八と西脇清吉さんが浦安の八枚洲で大鯨を見つけ大格闘の末に捉え、当時の金額で二百円で売れたそうです。二人の漁師は大鯨捕獲劇でもちきり英雄扱い有名人となり仕事には手が付かず、 年配者の示唆を受けて気を引き締めるため「大鯨の碑」を稲荷神社末社にたて奉納したといわれる。この大鯨は「深川の見世物」として郵便報知新聞第832号にも載っております。” 千葉県浦安市:鯨塚「大鯨の碑」 東京湾岸の鯨塚
2 months ago
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上村駒吉の小人島の一人相撲の見世物

見世物興行年表:明治16年(1883年)四

○七月、東京京橋区三十間堀二丁目にて、上村駒吉の小人島の一人相撲の見世物。(「郵便報知新聞」7・13)

 「侏儒 品川新宿五十二番地木村庄五郎方に止宿する岡山県下備中国哲多郡法会村の上村駒吉(三十九年)は、身軀矮短にして、其長二尺一寸に過ぎざれど、一体の釣合は至極宜しき一種異形の人物なるが、人並の業を執ること能(あたわ)ず、然るに其性質直にして孝心厚きも、其親を養ふの道を得ず、常に嘆くのあまり、或人の勧めにより、香具師に就て自ら見せ物となり、何程かの給料を得て故郷の老母に送り、孝養を怠らず、諸方に於て衆人の縦覧に供し、此ほど出京して小人島の独り相撲と評判し、京橋区三十間堀二丁目に於て興行せしが、兼て不具の者を見せ物とするを禁ぜらるゝを以て、一昨日巡査が之を引致し取調べしに、只身軀非常に矮短なるのみにて、支体に異なりし所なければ、斯の如き亦不具の人なれば何様の名義を以てするも成規に戻れば興行を差留むべしといふ説もあり、又人並はづれて短小なる体軀の者を不具とせば、人並はづれて身軀肥大なる相撲取の如きも亦不具の者といはざるを得ず、然れば相撲興行も成規に戻るやとの説ありて、其議の決せざるより、尚又昨日呼出して調べられし由なるが、本人は元より人の玩弄となるを恥ぢおれば、斯る面倒を厭ふより以後は見せ物となるを止め、相応の女房を迎へ両人して飴菓子など売歩き、老母を安楽に養ひたしと云ひ居るとは、希有にも亦殊勝なる男なり」

2 months ago
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