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脇屋義助(新田義貞の弟)が苛立って、「言う甲斐無き者どもの作法かな。わずかの木戸一つに支えられて、これほどの小城を攻め落とさずという事やある。栗生、篠塚はなきか。あの木戸取って引き破れ。畑、亘理は無きか。切って入れ」と下知したので、栗生左衛門と篠塚伊賀守が馬から飛び降りて、木戸を引き破ろうと走り寄った。すると、塀の前に深さ二丈余りの堀があって、橋板が全部はずしてある。
二人が、どうして渡ろうかと左右を見ると、近くの塚の上に、幅三尺(約90cm)、長さ五六丈(15~18m)の大卒塔婆が二本立っていた。
「ここにこちょうど良い橋板があるぞ。卒塔婆を立てるも橋を渡すも功徳は同じ(注:当時、橋を勧進するのは大きな功徳だった)。いざ、これで橋を渡さん。」と言うやいなや、二人で走り寄って、一本ずつ「えいやっ」と引き抜く。地面を五六尺掘って立ててあったが、あたりの土が一二尺ほど崩れて、難無く卒塔婆を引き抜いてしまった。
二人は二本の大卒塔婆を軽々と運んで堀のかたわらに突き立て、まずは自讚を始めた。
「異国には烏獲(おうかく)、ハンカイ、我が朝には和泉小次郎、朝夷奈三郎、これ皆、世にならびなき大力と聞こゆれども、我らが力に幾程かまさるべき。言うところ傍若無人なりと思わん人は、寄せ合って力根のほどを御覧ぜよ」
言うやいなや、二本の卒塔婆を同時に向こう岸へ倒し懸けた。
すると、横から畑六郎左衛門と亘理新左衛門の二人が、「御辺(ごへん)たちは橋渡判官(はしわたしのほうがん)になりたまえ。我らは合戦をせん」とふざけながら、卒塔婆の上をするすると渡り、木戸を蹴破って城の中に乗り込んだ。
#Shinozuka Shigehiro